昨日は自分の気持ちしか書けなくて、すみません・・・
ご心配頂いた皆様にはきちんと「もも」の最後を伝えなくてはと思います。
亡くなった18日の午前中に先生から電話がありました。
「ももちゃん非常に危ない状態です。こちらに来られたほうがいいと思います。」と。
私は、今までで1番悪いのか尋ねました。
返ってきた言葉は「はい。」
急いで支度をし妹の運転する車で病院へ向かいました。
こういう時に限って道が渋滞していました。いつもなら20~30分で着くのに、この時は1時間近く掛かってしまいました。
妹は「何なんだよ、何で渋滞してんだよ。」と何度も呟いていました。
そしてももちゃんに会い、先生の言っていたことが本当だったと実感しました。
心の中では、絶対大丈夫。また頑張ってくれる。そう思っていた私達は、横たわるももちゃんを見て正直ショックでした。
昨日に引き続き開口呼吸。呼吸の間隔が長く20秒位に1回、「グワァ」と大きな音をたて苦しそうに呼吸をしていました。
目も開き焦点が合わない状態でした。
「ももちゃん、ももちゃん、分かる?来たよ。ももちゃんに会いに来たよ。」と話かけても昏睡状態は続きました。
体も冷たく、低体温の状態は続いています。
何度も何度もドライヤーをあてましたが体温は一向に上がりません。
その間も苦しそうに呼吸する「もも」がいました。
しばらくすると診察を終えた先生が来ました。
妹は「先生、この状態で何かやれることはないの?」と尋ねました。
この状況でやれる事と言えば、点滴でブドウ糖を流すこと。低体温が続くと脳に障害が起きてしまうので、それを防ぐために糖分を流してあげる事しかありませんでした。
ももちゃんの場合、手足に針を射すことが出来ない(腐ってしまっているので)ため、首からの点滴になると言われました。
私達の出した答えはNO。この点滴で状態が回復するのであればお願いしましたが、正直やってもあまり意味のない事だったので・・・
先生も勧めはしませんでした。ただ何かするんであれば、それしか出来ないと・・・
この間も全く回復することもなく、昏睡状態で手足を左右に動かしていました。
正直今日もつか・・・
このまま病院で看取ってあげるか、お家に連れて帰り看取ってあげるか。この2つの選択しか残っていませんでした。
もちろん、連れて帰ります。とお話しました。
先生は湯たんぽを2つ用意して下さり、私が抱くももちゃんの体に湯たんぽを挟んでくれました。
苦しそうな呼吸は続きました。
ももちゃん、お家に帰ろうね。ももちゃんのお家だよ。そう問いかけていました。
ももちゃんを見ているだけで苦しさが伝わってきます。
そして「ももちゃん今までよく頑張ってね。もういいよ。もう頑張らないでいいよ。早く楽になろう」と問いかけている自分がいました。
今まで頑張れ頑張ればかり言ってきたから、こんなに苦しいのに頑張り続けている。
こんなに辛い状態を1秒でも早く脱出させてあげたいとこの時思いました。
そして我が家に着きました。ももちゃんの様子がおかしい。
首をゆっくり左右に振り、激しい呼吸をしながら自分の舌を噛みました。
妹がすぐに舌をどかすと、今度は包んでいたタオルをギュッとゆっくり噛み、私の腕の中で息を引き取りました。
妹と、えっ?死んじゃった?生きてるよね?まだ生きてるよね? そう何度も何度も繰り返しました。
こうして8月18日午後1時53分、虹の橋を渡りました。
ももちゃんは、家に帰ってきたかったんだと思います。最初で最後の家に。
家について、ももちゃんお家に着いたよと話しかけるとすぐに息を引き取ったんです。
今までは帰る所もなかったももちゃん。最後に自分の家を確かめたかったのかもしれません。
8月8日に出逢い、8月18日に天国へと旅立ったもも。あなたと過ごした日々はわずか10日間ですが
ももは我が家の家族です。
今日朝8時に火葬されました。お骨が戻ってくるのは22日です。四十九日は一緒に過ごしたいと思います。
2~3歳と短い命でしたが、ももちゃんは皆さんに見守られ幸せでした。
本当に本当にありがとうございました。
みなさん、ももがここに存在したこと忘れないであげて下さい。
ももは必要とされているんだよと、一人じゃないんだよと、そう感じさせてあげたいです。
いつまでもいつまでも心の中に生き続けるからね、 ももちゃん。